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長野簡易裁判所 昭和46年(ろ)44号 判決

被告人 米山幸雄

昭二〇・一一・一八生 自動車運転手

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件業務上過失致死の公訴事実は、

「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四六年七月一四日午前零時三〇分ころ、大型けん引自動車(けん引車、被けん引車合わせて全長一八・三メートル)を運転し、長野県上水内郡豊野町川谷一、〇一二番地先の幅員約九メートルの道路を牟礼村方向から長野市方向に向かい時速約五〇キロメートルで進行中前方約二〇〇メートルの地点に対向して来る斉藤一彦(当一九年)運転の普通乗用自動車を認め同車とすれちがおうとしたが、同所は勾配一〇〇分の二の下り坂であること、右方に急カーブ(半径約八〇メートル)している道路であり、自車は全長一八・三メートルの特殊車両であるため前記右カーブを曲がるときには車両後部が道路内側に寄ることは予想されるのであるから、対向車の動静を注視し十分道路左側に寄つて間隔に留意しながら減速徐行してすれちがいをすべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然時速約五〇キロメートルのまま道路左側のセンターライン近接部分を進行して右カーブ地点で対向車とすれちがいをした過失により、自車の被けん引後部右側アングル附近を対向車右側後部窓枠附近に衝突させ、よつて同車後部座席右側に同乗していた高橋孝(当二三年)に頭部外傷、頭骨複雑骨折、脳損傷の傷害を負わせて即死するに至らしめたものである。」

というのである。

第二当裁判所の認定した事実

一、公訴事実中当裁判所の認定した事実

(証拠略)を総合すると、被告人は、新潟運輸建設株式会社長岡総括支店に自動車運転手として勤務するものであるが、昭和四六年七月一四日午前零時三〇分ころ、最大積載量一〇・五トンのトラクターに雑貨五・五トンを積載し、これに最大積載量七トンのトレーラー(積荷なし)をドーリーで連結してけん引した、いわゆるフルトレーラー(全長一八・三一五メートル、車幅トラクター、二・四七メートル、トレーラー、二・四九メートル)を運転して、牟礼村方面より長野市方面に向つて国道一八号線を時速五〇キロメートル毎時の速度で東進し、長野県上水内郡豊野町川谷一、〇一二番地先の道路にさしかかつた際、前方約二〇〇メートルの地点に単独で対向してくる斉藤一彦運転の普通乗用自動車(以下相手車という)を認めたが、そのまま従前の速度を維持して曲線半径八〇メートル(右カーブ)、勾配一〇〇分の二の下り坂を進行し、相手車とすれちがつたところ、中央線に近接していた自車のトレーラー後部右側アングル附近に相手車右側後部窓枠附近が強圧擦過したため、同車後部座席右側に同乗していた高橋孝(当二三年)が頭部外傷、頭骨複雑骨折、脳損傷の傷害を負い即死するにいたつたことを認めることができる。

二、検察官の主張に対する判断

検察官は、本件訴因において、本件現場附近の道路は、勾配一〇〇分の二の下り坂であり、かつ右方に急カーブしているのであるから、かような場所を被告人が全長一八・三メートルもある特殊車両を運行通過させる場合には、対向車との接触事故を防ぐため十分道路左側に寄つたうえ減速ないし徐行してすれちがいをすべき業務上の注意義務がある旨主張するのでこの点につき判断する。

(一)  道路交通法上の徐行義務について

なるほど、道路交通法四二条(昭和四六年六月二日法律第九八号施行前・以下同じ)によれば、車両等は、道路のまがりかど附近または勾配の急な下り坂を通行する場合においては、徐行しなければならないのであり、もし、被告人車が本件事故現場にいたる附近の道路を徐行していたならば、右すれちがいの地点は相手車がすでに左まわりを終えて直線部に入つたあたりであつたとも考えられ、そうであれば、本件事故は未然に防ぐことができたであろうし、また、仮に屈曲地点ですれちがうことになつたとしても、相手車において、十分両車の接触の結果を回避する措置をとり得たのではないかと推測されるのである。しかしながら、同法にいう「道路のまがりかど附近」とは、道路が急角度に屈折している場所をいうものと解されるし、また、「勾配の急な下り坂」とは、勾配一〇パーセント以上の下り坂をいうものと解すべきであつて、わずか曲線半径八〇メートルの曲線部をもつに過ぎない、また二パーセントの下り勾配をもつに過ぎない本件事故現場にいたる附近の道路が、右の徐行をしなければならない場所にあたらないことは明らかであろう。従つて、被告人としては、ほかに特段の事情のない限り、本件事故現場にいたる附近の道路を通行する際、徐行しなければならないという義務は、道交法においては課せられていないのである。

(二)  左側通行の義務について

たしかに、検察官の主張するように、被告人車が道路の左側端を進行していたならば、あるいは、本件事故の発生を未然に防止することができたのではないかと思われるのであるが、本件被告人の運転するような特殊車両が対向車とすれちがう場合に、常に、一般的に、かような義務が課せられるのであろうか。

もとより、道交法(一八Ⅰ)は、いわゆるキープ・レフトの原則をとつているのであるが、自動車および原動機付自転車に対しては、かならずしも左側端の通行を要請しているものではない。たゞ、前認定のように、被告人車のトレーラーの後部右側附近は、中央線に近接していたので、右キープ・レフトの原則に照らすと、被告人が、かような進行方法をとつたことが、本件事故との関連で問題となろう。

司法警察員作成の各実況見分調書および当裁判所の検証の結果によれば、本件事故現場附近の道路の幅員は約九メートルあつて、上下各一車線を中央線で画し、各車線の左側には、中央線から三・五メートルを隔てて外側線が標示され、さらにこの外側線から道路の左側端まで各一メートルほどの路肩(道路構造令二条一〇号、車両制限令二条七号参照)が設けられ、その左側端にそつてガード・レールが設置されていることが認められる。ところで、車両は、原則として、その車輪が路肩にはみだしてはならない(車両制限令九条)のであるから、被告人車が右中央線と外側線の間を進行したことは、特段の事情のない限り、まさに交通法規の要請にそつたものということができる。ただ、いわゆるキープ・レフトの原則は、中央線と左方の外側線内にあつて、さらに、できるだけ左側に寄つて進行すべきことを求め、これによつて、対向車との接触・衝突の結果の発生を防止しようとする趣旨のものと解せられるので、被告人車において本件事故現場にいたる附近の道路を進行する際、なお左側に寄ることが可能であつたのかどうか、それが可能として、被告人車が右キープ・レフトの原則に従つて道路の左側に寄つて進行すべきであつたかどうか、またかように左側に寄つて進行していたならば、本件事故の発生を未然に防止することができたかどうかが問われなければならない。

前掲各証拠を総合して判断すると、本件事故現場における事故発生当時の被告人車の位置は、ほぼ、別添図面に示すとおりであるが、そのうち、左側外側線まで、トラクターの前部左側車輪中央部分からは〇・七六メートルほどの、またトレーラーの後部左側車輪中央部分からは一メートルほどの間隔のあつたことが認められる。そこで、被告人車としては、なお道路の左側に寄つて進行する余地があつたのではないかとも考えられるのであるが、本件現場附近の道路は、前認定のように、曲線部であつて、ここを全長一八メートル余の車体を進行させるのであるから、かような「道路の状況その他の事情」を具体的に十分考慮して、いわゆるキープ・レフトの原則の適用の要否を決しなければならない。

本件事故現場にいたる附近の道路は、曲線半径八〇メートルの右曲線部になつている箇所であるから、普通車などの場合には、その車体全体を右曲線部の外側寄り、つまり外側線にそつて通過させることも容易であると考えられるが、被告人車の場合には、普通車にくらべて内輪差が大きく、トレーラー後部右側附近と中央線との間隔をあけるためには、トラクター前部左側を外側線または側帯、路肩に近接させなければならない。そして、この操作は、被告人車が減速ないし徐行のうえ行なうのであれば、さして困難でもなく、また危険を伴うものではないと思われるが、当該道路における被告人車の法定速度内である時速五〇キロメートルの速度で本件事故現場附近の道路を通過しようとする場合には、通常の運転感覚からして、トラクター前部左側に多少の余裕をのこしておいて右まわりに入ることは極めて自然であり、本件においては、被告人車はトラクター左前車輪の中心から〇・七六メートルほどの余裕をとつて右まわりに入つていたわけであり(この場合、トラクターの運転席部分が前車輪から大きくつきだしていることを考慮すべきである。)、その結果自車最後部右側附近が中央線に近接した箇所を通過することになつたのであるが、これも、本件のような大型特殊車両の進行方法としては、むしろ、やむをえないところで、これを目してキープ・レフトの原則に反すると非難することはあたらない。しかし、曲線部で右まわりを行く車両が、中央線に近接していた場合、対向車もまた左まわりのため、いきおい、中央線に接近して進行し、すれちがい時には両車の間隔はかなりせばまることになるから、とくに右まわり車線を進行する車両にあつては、できるだけ左側に寄るべきではあるが、本件のような道路状況において、すれちがう車両が本件のような大型特殊車両と、いわば、小回りのきく普通乗用自動車である場合は、右乗用自動車において近接してすれちがうことのないよう注意して進行すべき義務があるとすべきである。そして、特段の事情のない限り、右大型車両の運転者としては、相手車が右義務に従つて進行するであろうと期待することができるから、あえて減速・徐行のうえ左側によつて進行することなく、自車後部右側を中央線に近接させて通過してもよいと解する。

(三)  相手車の進行状態と被告人の注意義務

以上のように、被告人車の進行方法は、おおむね交通法規の定めるところに従つたものと評価することができるのであるが、交通法規に従つて進行すれば、対向車と衝突し、死傷の結果を生ずるおそれがあると予見できる場合には、当該車両の運転者としては、「警音器を吹鳴して対向車に避譲を促すとともに、すれ違つて安全なように減速して道路左端を進行するか、一時停止して対向車の通過をまつて進行するなど臨機の措置を講じ危害の発生を未然に防止すべき義務がある。」(最高裁第一小法廷・昭和四二・三・一六判決・判例時報四八〇・六七頁)と解すべきであるから、本件においても、対向車たる相手車の進行状態との関連において、さらに、被告人の注意義務を検討しなければならない。

(証拠略)によれば、被告人は、検証調書添付の見取図第一図の二に記載されたイ点に該当する地点附近にさしかかつた際、前方約二百十数メートルの地点(前記見取図ロ点に該当する地点附近)に相手車が右まわりの体勢から直線部に入つて同車線のほぼ中央あたりを単独で対向してくるのを認めた。そして、相手車はまもなく右まわりの下り坂にかかつたのであるが、被告人は、その際の相手車の速度を六〇キロメートル毎時くらいと判断し、その進行状態にも別段不安定なところがなかつたので、無事すれちがいができると考え、前認定のように従前の速度を維持して進行したのであるが、約一メートルの間隔をおいて両車がすれちがいに入ろうとして、はじめて被告人は相手車がかなり早い速度であることを知り、このまま相手車が左まわりを続けるときは、中央線を超えて自車線に進入し、自車に接触して死傷の結果を生ずるおそれがあると予見したが、なんらの措置も講じぬうちに両車が接触したことを認めることができる。

ところで、被告人が相手車を発見した際の両車の位置関係から、相手車の速度は、すくなくとも時速七〇キロメートルを超えていたことが推認されるのであるが、そうだとすれば、被告人において、これを的確に認識しえたならば、相手車がかかる高速で本件事故現場にいたる曲線半径八〇メートルの左曲線部をその道路中央附近から通過しようとするときは、あるいはまわりきれずに中央線を超えて自車線に進入し、このため両車が接触して死傷の結果を生じさせるおそれのあることを予見しえたと思われるし、従つて、この結果の発生を回避するための臨機の措置をとることも期待しえたと考えられるので、この速度の誤認をいかに解するかが本件過失罪の成否に重大な鍵となろう。

前掲各実況見分調書によれば、本件現場附近は山あいにあつて、その間、人家はなく、また道路上にもなんらの照明施設もないといつた状況のなかで、二百数十メートルを隔てて、単独で対向してくる車の速度をわずかな月光(月齢二一・二)と同車のライトの動きだけで的確に判断することは、経験則上極めて困難と考えられるので、被告人のこの点の錯誤をとらえて、注視義務に反したと非難することは、妥当ではない。従つて、相手車が時速六〇キロメートル位の速度で本件程度の曲線部を前示のように左まわりするならば、もとより安全にすれちがいできると考えられるところであり、被告人においてもかかる判断にたつて別段の回避の手段を講じなかつたとしても、これが予見義務に反した違法な行為と評価することはできないと解する。

ところで、被告人は、両車が約一メートルの間隔をとつてすれちがいに入る直前、相手車の速度がかなり早いのに気付き、このまま相手車とすれちがうときは、相手車が中央線を超えて自車線に進入し、自車に接触して死傷の結果を生じるおそれがあると予見したのであるが、相手車は時速七〇キロメートルを超える高速であつたから、自車全長一八メートル余の距離を通過するのは瞬時の間である。従つて、仮に直ちに停車しえたとしても、また、とつさに左にハンドルを切つたとしても、到底、相手車との接触を防ぎ死傷の結果を回避することは不可能であつたといわなければならない。

よつて、被告人が右すれちがいに入つた後の不作為をとらえて違法とすることはできない。

では、被告人においていますこし早期に相手車の高速を確認し、危険を予見することができたであろうか。この点については、一般的に注意力を集中すれば、回避可能な地点で、これが確認ないし感得をすることができたとする証拠はなく、従つて、本件事故の発生を予見すべき義務を被告人に課することはできない。

(四)  おわりに、(証拠略)によれば、相手車は、別添図面に示すように、本件接触地点のわずか手前の中央線に近接する箇所から一条のスキツド・マークを残していることが認められ、これと前認定の事実とを考え合わせると、相手車は、高速のため結局左曲線部の道路をまわりきることが困難となり、前記のスキツド・マークの始点あたりで強くブレーキ・ペダルを踏んだため、同車の平衡を失わせてこれを右に傾かせ、そのためハンドル操作の自由を失つて対向車線に自車を突入させ、その際、同車の右側フエンダーミラーを被告人車のトレーラー後部右側アングル附近に接触させてこれを圧潰し、続いて右側後部窓枠附近を強圧擦過させたためその窓ガラスを破壊飛散させ、たまたま同窓ガラスにもたれていた被害者の頭部を車外に突出させて同アングル附近に激突させ、本件致死の結果を生じさせたことが推認され、このことから、本件事故は、相手車の一方的な操縦の誤りによつて生じたもので、被告人にとつてはまつたく予見しえぬ偶然の事故であつたというほかなく、結局、本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(別添図面略)

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